12日目 メルヴ遺跡観光後プハラへ
7時30分にホテルを出発、メルヴに向かう。メルヴはシルクロード1の規模だったオアシス都市でペルシャと中央アジアを結ぶ重要な中継点であった。1999年にトルクメニスタン初の世界遺産に登録された。10分ほど走るとカラクム運河の支流を越える。このあとカラクム(黒い沙漠)の中を走り続ける。沙漠と言っても草が生えていてラクダの放牧が行われている。

カラクム運河の支流 ラクダの群(拡大)
30分ほど走るとメルブ遺跡の城壁が見えてきた。さらに20分ほど走ってからバスを降りてエルク・カラの城壁に登る。エルク・カラはBC6世紀にアケメネス朝ペルシャの時代の支配下のオアシス都市として栄え当時はマルギアナと呼ばれていた。エルク・カラは12ヘクタールの広さがある円形の土地で日干し煉瓦の城壁で囲まれている。今は城壁が砂に埋まっているのでクレーターのように見える。

エルク・カラの城壁 エルク・カラ(拡大)
城壁の下には日干しレンガが残っている。

城壁の日干し煉瓦
エルク・カラの城壁の外側に長い城壁が続いている。BC2〜3世紀のパルティア時代に築かれたギャウル・カラの城壁で一辺1.9kmのほぼ方形をしていて城壁内の面積は3.5平方kmある。ギャウル・カラの外側にも楕円形の城壁が造られていて内部の面積は60平方kmある。1218年ホラズム・シャーの時代にチンギス・ハーンの要求を伝えた特使を殺したため、モンゴルか復讐のため1221年に来襲し100万人を超えた住人を皆殺しにした。モンゴルはすべてを破壊したが力を示すため略奪をしなかった。その後メルヴは廃墟と化し2度と復興しなかった。

ギャウル・カラの城壁
30分ほどしてエルク・カラを出発し15分ほど走ってメドレセを訪れる。

メドレセ 墓
続いて近くにあるスルタン・サンジャール廟を訪れる。スルタン・サンジャールはセルジュク朝の最盛期を築いた王で、廟は1140年に建てられた。10km先から見えるよう高さが36mもある。周囲は25m四方であるが壁の厚さが5mもあるので内部は15m四方である。堅固な造りなのでモンゴルの破壊に耐えた。2002年から2004年にかけてに復元工事が行われている。ドームの一部に穴が開いていて天使の穴と呼ばれている。建てられた当時は周囲にモスクや神学校があったという。

スルタン・サンジャール廟(拡大)
9時35分に出発、アスカブスの廟を訪れる。この廟は15世紀に建てられ、トルクメニスタンの聖地になっていて巡礼が訪れてくる。

アスカブスの廟(拡大) 墓
このあとキズカラを訪れる。キズカラはササン朝ペルシャ末期の有力者の住居跡で語源はトルコ語のキズ・カレ(乙女の城)からきている。大キズカラと小キズカラの2つの建物の跡が残っていて、大キズカラは2階建てで高さ20mほどあり建設時には屋根が付いていた。1階部分は砂に埋まっている。
小キズカラも2階建てで1階は砂にうずまり2階の外壁は一部しか残っていない。

小キズカラ
続いてスーフィー(イスラム神秘主義)の聖人ムハンマド・イブン・サイードの廟を訪れる。近くにある丘は神学校の跡だという。

ムハンマド・イブン・サイード廟 神学校の跡
このあとウズベキスタンとの国境に向かって走り途中トルクメナバードの町で遅い昼食をとる。レストランの2階以上はアパートになっていて窓の外に直径2m以上もある大きなパラボラアンテナをつけて衛星放送を受信している。

レストラン パラボラアンテナ
料理はサラダ、スープ、ご飯とスペアリブ、魚のフライだった。

サラダ スープ、 魚のフライ
15時35分にレストランを出発、カラクム砂漠の中を10分ほど走るとアムダリア川に出た。検問所がありバスを降りて歩いて橋を渡る。アレキサンダー大王の軍はアムダリア川を渡ったが、川幅が広く水の流れが速くどのようにして渡ったのは不思議である。

アムダリア川
アムダリア川を渡って30分ほど走ると国境に出た。トルクメニスウタンの出国手続きを終えた後、ウズベキスタンの入国事務所まで緩衝地帯を炎天下1.5km歩いて越える。

入国審査を待つトラック
出入国に2時間かかって18時35分にようやく国境を出発する。ブハラに近づくと緑が増えてほっとする。プハラは、ザラフシャーン川下流域のオアシス地帯にある都市で、シルクロードの隊商都市として栄えた2500年の歴史がある。

ザラフシャーン川
20時10分ブハラホテルに到着した。客室は広くなかなか良いホテルだがエアコンのスイッチが客室についていないので風邪をひいてしまった。

ブハラ ホテル 客室
ホテルのレストランで夕食をとる。広い豪華な雰囲気の部屋だ。

レストラン
大友さんが日本から持ってきたソーメンを作ってくれた。ちょうどよいゆで加減だったが大友さんは以前蕎麦屋で働いていて暖簾わけの話が出たというくらいからプうまいはずである。


前菜
途中でお粥が出た。日本人がよく泊まるのか従業員は日本語を話し、お粥を食べきるともう一杯と勧めてくる。私は遠慮したがお代わりはお椀のふちまで入っていてお代わりを食べた人はメインディッシュを食べられなくなってしまった。